詰め

uizcatchthebeat2009-07-02



13年前にお蔵った盤が
本人の意図通りに
再発される、
しかも日本先行で、
という仕事自体は
大評価申し上げたい。
これでもう
(みんな持ってたw)
ブートは永遠に用済み、てことで
敢えて画像で貼ってみましたが。
曲名はブート時代と変わってるのもあるが
("Sunrise"→"Large Pro:Verbs"とか)
基本全部入ってる、ご心配なく。


Hip Hopヒストリー上、
世界中でLost Treasureと評され
オフィシャルリリースは無いまま
でもブートではみんな聞いてる、て
位置づけも妙ではあったし
逆に今更出しにくいような気もしてただけに
ホントにGJ・・・




なのだけれども。
つまりは
折角の歴史的価値ある偉業、
今これを他の新譜と同列で聞くリスナー
(いて欲しいけど)は
少ないわけで
購買のメインは
当時からのファンか、
Hip Hopヒストリーに意識的な若いファン。
アメブレ伊藤による本盤の位置づけ解説は要を得て良し、
歌詞対訳あり、
までは良いとして
レーベル公式に予定されてた
"ラージ教授自身による制作秘話ライナーノーツ"
が・・・
入って無いぢゃんか!!


伊藤も書いてるように
初出な後半のボートラ5曲は
確かに音色もフロウも違うので
このアルバム用のセッションとは違う気が。
ということは、
本来は1〜13の形でリリースしたかったのか。
あとは噂のBusta"Woo Hah!!"とのネタかぶりでお蔵った
"Mad Scientist"のオリジナル、だが。
これは正直リリースヴァージョンのほうが良いんぢゃねw





アルバムのトーンに合ってるし。
こっちがさんざ聞き慣れてるからかも、だが
(当時は正規CDシングルでも大量に出回ったよねえ)。


つまり、
「本人の本来の意図」であるなら
その本人の弁が絶対に聞きたかったし
もちろんこのブツが如何に形作られたか、を
明らかにすることも
歴史にとって大事だったと思うんだ。
13年経って
今更焦ることでもあるまい。
それとも教授とコンタクトが取れなくなったとか?
それはそれで心配。


どっかのサイトが
この機会にインタビューするとかを待つしかないのだろけど
それが封入されなかったのは残念無念、というお話。


THE LP

THE LP



7月11日付記:
bmr8月号で教授のインタビュー記事。
P-VINEだからやってくれるかな、とは思ってたけども。
インタビュアー塚田氏は
「硬派な音楽家」と評してるものの
肝心な音楽そのものについては
あまり深く聞いておらず残念。
まあ2頁ぢゃしょうがない。
BLASTならばビートメイキング自体に
もっと突っ込んだ質問をしてるだろうなあ、
てか両誌はそういう点で記事の志向が違って
二つで一つのバランスが取れてたよなあ、
と改めて。


7月16日再付記:
アメブレでヨシ氏によるインタビューktkr。
音楽に特化した形で
少しこちらの渇望を埋めてくれる内容。
しかしそれにつけても
いちいちこういう記事に目を光らせてないと
いけないてのもなあ。
情弱、とは言わないまでも
金払ってこのCDを買った人全てに
こういう内容が届くベキだったんじゃないの?

敷居問題

uizcatchthebeat2009-07-01



現代に生まれた者として
破、
みたいな
ちょっとやそっとの
エンタメでは
得がたい
真に特別な興奮体験は
激しくオススメしたい、
そこの見ず知らずのオマエも
同時代に生まれたんなら
もったいない、
DVD待ちと言わず
ともかく劇場に駆けつけろ、と
暑苦しく押し付けたい・・・と同時に。
たとえばパチでしか知らないとかいう層に
無邪気にオススメできるかっつーと、やっぱ考えちゃうわなあ。
一見さんが増えてほしい、とは思うが
せっかく行ってポカーンぢゃもったいない。
となると
せめて序、みてなきゃだし
出来れば
TV全話から旧劇場版を観た上で、
となると
敷居は高くなるばかり。




何度か書いてきたけど
ひとつのエンタメに触れるとき
背景情報を知っておくべきか否か、
てのはなかなか難しい。
そんなもんいらない、対象年齢3歳以上、知性とかも不要、
てのがあってもいいし
ハードな予習や実際の生活体験が必要だ、
なんてのがあってもイイ。


Doubleの新曲を
10年総括後の新たな一歩、として聞くと
感慨はひとしおだが
まあ全てのヒトが
何かを踏み出すことを後押しし称えるうた、
と取ることも出来ましょう。
R&Bの歴史と潮流、過去の音と現行の音を了解した上で
この音作りに触れさせることと
大量に流布するJ-Pop群の中のひとつ、として触れさせることは
等価とは言えないかもしれないが
それもまたポピュラア・ミュージックの宿命。
コアとマスを両方満足させてこそ一流、
だろうと思う一方
そこの落としどころを形にするのって
並大抵ぢゃ出来ないよなあ。





Let it go (初回限定盤)(DVD付)

Let it go (初回限定盤)(DVD付)

Let it go

Let it go





Double絡みでコレも。





正直、カヴァ話を聞いた当初は
どうやって叩こうかしか考えてなかったが
ここまであからさまに愛情とリスペクトを示されると
悪くは言えねぇわなあw
後ろでずっと鳴ってる音はいらないです・・(小声)くらい。
嗜好のタコツボ化で
チャートの上位曲も大衆にはあまねく届かない、
一年後には殆ど記憶に無い、時代にあって
10年前の曲がカヴァされて世に出る、
のは良いこと。
DOUBLEオタの義務で押さえとくかあ、くらいだったが
これは持ってて良いレベル。


Shake(DVD付)

Shake(DVD付)

25←→26→27

uizcatchthebeat2009-06-27



あれから2年。
待ちかねた、
とはいえ
混んでる劇場は苦手。
なので
来週くらいに、と
思っていたのだが
natalieのヤロウが昼に
このニュースを流しやがったのを
目にしてしまい。


主題歌は宇多田続投、
は公式情報として出てたが
それが新曲なのか何なのかは非公表。
なので、うわああああ、見ちゃったああああああ的な。


氷川サンも言ってたけど
今回のカラーの徹底した情報管理に敬意を表するとともに
そーゆー楽しみ方が推奨されてるのだから
ネタバレに触れることを絶対に避けて
公表されてること以外はゼロ、の状態で臨みたい、
と思ってたわけです。
でも、本日初回上映以降、
一般の手に委ねられたら
それはもう自己責任。
エヴァ板はもってのほかにしろ
まあ2ch見なきゃいいかな、くらいに思ってたけど
natalieだってこれくらいのことがあるわけだから
もう回線切ってネットは見ない、
外出時も耳栓して過ごすwぐらいの生活をするしかない。
で、その自信は無い、と思って
予定を変更して急遽夕方の上映に駆けつけたですよ。




結論。
俺、英断!情報ナシで見られて大幸福。


パチでもゲームでもそれこそ同人でも。
「新作」は無数にあったけれども
それらはあくまで二次創作。
EOEから12年、
本家が生んだ完全新作を
こんな興奮と共に迎えられるとは。
長生きはするもんだw




俺のようにゼロの状態で観たいヒトのため、
てか
ゼロで観ること是非推奨の一人として、
可能性は低くてもネットに掲げる以上
今日の時点ではネタバレは控えたい。
それでも、
先入観抜きで観たい人は以下の戯言もスルーしといてくださり。






12年を経ての変化は
庵野自身の変化、でもあるだろうし
宮台センセが言うような時代の変化を反映したものでもある、のでしょう。
12年をEOEの精神状態で過ごしてきた人間ならともかくw
それぞれが自らの生をサヴァイブしてきているわけで
当時の描写、当時のキャラに立ち向かうが如き内容に
勇気付けられないわけがない。
当時の「あの台詞」のあとに
「来い!」と続いた日にはね・・・
そりゃあおっさんも涙腺うるうるですよw


そうした当時からのファンと共に
現代の若い(それこそ14歳の)コに訴求するであろう、とも思うです。
一部、「これなら普通の萌えや熱血じゃん」という意見があるが
そうとしか観られないならもういいよ、
一生ぐるぐるセカイ系の中で自我撞着起こしてろ、と言いたいが。


いやいや、
あの新キャラの在りようは見逃せないぢゃないか。
乗ること自体の葛藤は皆無、
大人の都合に翻弄される、ぢゃなく
子どもの都合で大人を利用する、
「自分探し」やACのキーワードとは無縁な、
生への動機づけが根本的に違う存在。
まあまだ未完だから
もしかしたら
そこはそんな単純な反転構造ではないにしろ
あそこには
ネット大衆化以降の
情報へのアクセスが旧世代より確実に優越して育つ、
よりリアリスティックな
イマドキの子どもたちが投影されてる、気がした。




旧ファンと新ファンを満足させる、
という難題を
軽々とクリアしたあと
このあとどうなっちゃうの?
と逆に心配だったりするが
12年目のご褒美がコレなら
「Q」も納得行くまで時間かけてください、
と言いたいです。
ですったら。





空白と強迫

uizcatchthebeat2009-06-26



さようなら、MJ。


画像のMixtapeのDLは
期間限定、
お早めに




結局、こんとき
生MJ目視の最後に
なってしまった。


俺のスタンスは
そんとき書いたことと
基本的には変わってない。
即ち、
1980年から1992年までは
その音楽に映像に夢中だった。
87年の横浜スタジアムも大興奮した。
過去曲で知らないものがあったのを反省し
モータウン全般を掘るように努めたのも
その日以降だった。


でも。
93年の小児虐待疑惑裁判でまず冷めた。
世には憎むべき犯罪は多々あるが
意思決定に劣る弱者につけこむタイプのものは
心底許しがたい。
今となっては
情弱だった自分を責めたいわけだけども。


マイケル・ジャクソン裁判 あなたは彼を裁けますか? (P‐Vine BOOKS)

マイケル・ジャクソン裁判 あなたは彼を裁けますか? (P‐Vine BOOKS)



94年、"HIStory"のプロモーション映像

は、今見ると笑ってしまう要素もあるが
当時は
なにこれこわい
としか思えなかった。
もはや俗世を越えたというか、
並外れて優れたエンターテイナー、である以上の、
モンスター化してしまったように見えた。
それは大衆の無限に膨れ上がる"I Love You!"の期待に
真面目に応えた帰結なのかもだけど。


超スターであることの苦悩を思わせる歌詞が多くなると
マイコーかわいそうだとは思うけど
俺の日常とは関係ないよお・・
それに金は払えないよ・・
とかね。


慈善活動の数々は素晴らしいと思うけど
大仰なバラード路線は好きじゃなかった。
R.Kelly大好きだけど自身の大仰曲も好きじゃないから
毎回がっかりな感じ。




世間がマイコーに熱狂するほど
こいつホントは変人ですよとマスコミが貶める。
で、マイコーも極度にナイーヴだから
それで揺らいでしまう。
この業深きループ。




一時の異常な熱狂と反動が落ち着いて
「普通のR&B新譜」として聞くことが出来た
2001年"Invincible"は
当時の現行サウンドにも
自然な歩み寄りを見せていて
思えば"Dangerous"に継いで長く聞けている。
("Off The Wall"、"Thriller"、"Bad"は
当時死ぬほど聞き過ぎて
曲単位では聞くけど
アルバムとしてリピートしなくなってしまった)


Chris Brownが往年のマイコーを踏襲したり
Ne-YoやWill.i.amが曲書いたりしてるという流れは
望ましく
アルバム出せればいいなあ、と思ってた。
Thriller25周年盤が本格的な再録じゃなかったのには
がっかりしてた。




TVではLAやNYで嘆き悲しむファンの映像が。
アフリカン・アメリカンにとって
Michaelの存在はさらに特別だと思う。
そして極東のR&B/Hip Hopファンにとっても
その恩恵は計り知れない。


清志郎のときにも書いたことだけど
マイコー個人について
日本ではその激動の変遷も含め
40年間同じテンションで支持し続けたファンは
いったいどのくらいいるというのだろう。
"Bad"以降聞いてないような連中が圧倒的に多いんじゃないか。
あとは顔の変遷や奇行を苦笑したり
例のABCのインタビューを見た程度だろう。
「"Thriller"は何度も見たねえ」て、
音楽に興味があろうがなかろうが
83年には世界中の人が見た、つーの。
俺が知る限り
近年のファンは
例のポジプロ40万パーティや
VMAJで俺らを押しのけて泣き叫んでたような人々に
代表されるような
ちょっと宗教がかった
怖い人たち、のイメージが強い。


晩節を汚した、のは一体誰か。
孤立するしかなかった本人か
追い詰めた気まぐれな大衆か
正義面しながら下衆なマスコミか
儲け主義のレーベルか。
ロンドン公演や
ニューアルバム発売が実現していれば
そのキャリアは綺麗に治まったのかもしれないが
それももう叶わない。
過去の熱狂の淡い思い出と
なんともいえぬ苦さの混ざったキモチ。
今夜は
こんな未来が待ってるとは思わずに
ただただかっけええええええ、と思って聞きまくった
"Off The Wall"を
聞こうと思います。

モーメント

uizcatchthebeat2009-06-23



なんとなく
黙認動画ぽいから
引用紹介するベキか
少々迷わないではないが
この記事と共に
感慨深い瞬間の記録、
という意味で。





うp主にリスペクツ。




既に語られ尽くしちゃってるので
特に補足はない、のだが
AV女優への世間の目、
という視座で、
現役で作品リリースがありつつ
おねマスのエースであり
志村の舞台を勤めるみひろが
この役回りを演じているつーメタ構造
(引退後も女優業順調な長澤サンの客演、
も後付けながら意義深い)
のことを考えたりした。


で、チープさが逆にドキュメンタリィ的で
出演役者陣が未だにグループとして宣伝活動を続けてる様子とかも含め
虚実皮膜の中で
憧れのスタアのポジションである宇多丸に「届いた」図として
映画の「在り得た未来の続き」として
上掲動画を見ると
泣けるわなあ、こりゃ。


オレはとっととDVD化して
地方でくすぶる全てのアマチュアたちに届かせろ、と思ってたのだが
DVD化の道は多難
らしいから
未見なら劇場へ、てことだわ。

人にはそれぞれ事情がある

uizcatchthebeat2009-06-17



マーシーのことではなしに。


清志郎の「最新シングル」を
買ってきた。
ポストカード3枚付き。
青山でも聞く機会はあったが
こうしてCDでフルで聞くと
感触は違う。
全部の楽器を自分で演奏したテイクだが
予想してた"RADIO SOUL 20"用のデモ蔵出し、
という印象を超えた、
きちんとリリースすべき、完成した曲、だった。
Data Conversion&Restorationとしてクレジットされている
高野寛と葛西敏彦が渾身の仕事をしたのだろう。
Co-Directorにはたっぺいくんの名前も。


正直、RADIO SOUL 20のversionを先に聞いたときは
「キャンペーンソング」然としてる、
ノベルティ感があって
最後の一節「愛と平和の歌を」も
いつもの決まり文句な感じにしか思えなかった。
この手の曲の中では悪くない、
清志郎が曲を書ける状態で良かった、くらいの。
今はこのversionへの感慨も違ってしまうのだけど。


今、このオリジナルを聞くのは
いろんな思いが去来して
客観的に判断することはとても難しいけれど
無駄な装飾が一切無い、
極上のロッカバラードや
至極のブルースや
美しいR&Bに
共通した情感で一杯だと思う。
最後の一節が
これだけ重要に響くものだとは。


カップリングは"激しい雨"を
コーちゃんとチャボを入れて
録り直したセッションでラフな仕上がりだが
この曲の内容、位置づけを考えると
このテイクを世に出してくれたスタッフに
感謝したい。




さて。
似たような苦悶を感じてる人も多いはずだが
清志郎39年間のキャリアを
ずっと同じテンションで支持し続けた、
というファンが世の中にはいるのだ。
デビューから
今回のこのシングルまで、リリース作を発売日に買い、
ライブには皆勤並みに駆けつける、
そんなファンもいるはずだ。


その他にRCのブレイク期、
80年代前半だけ熱心で
その後は離れたファンも少なくない。
30代のHip Hopアーティストたちは
TIMERS(ゼリーだけどさw)からの影響を語るものが多い。
レジェンドとしてフェスに登場する姿や
自分の好きなアーティストが敬愛する存在として
新たにファンになった20代も多いと聞く。


ブレイク前の深刻な低迷期(シングルマン時代)、
それでも"わかってもらえるさ"と歌う姿は
その後の成功を知っているだけに
今聞いても感動的だし
タイムマシンにでも乗って
「そう、もうすぐだ!」と教えてあげたいくらい。



いっぽう、成功と尊敬は勝ち得たのち、
売り上げや集客力といった意味では
小規模になっていた2000年前後に歌われる
"誰も知らない"は胸が痛い。



俺は前も書いたように
センパイの世代から"Rhapsody"を教わって
ラジオで聞いた"ステップ"が大好きになり
そのおかげで82年の夏に横浜スタジアムで初めて
「黒人アーティストのライブ(Chuck BerryとSam Moore)」を見ることが出来た。
そこから92年のMG'SとのツアーまではRCとソロのライブは
見られる限り行っていたが
以降は機会があれば行く、というスタンスに変わり
リリース作も全てをフォローすることが無くなっていた。
Hip HopやR&B、Reggaeのほうにのめりこんでいったことも大きい。
日本語ラップ」の胎動も聞こえていた。
そんな嗜好の変遷の中、
つまり清志郎の歌やライブに熱狂したのは
その全キャリアのたった4分の1でしかない。


そんな俺が清志郎を語ることは許されるのだろうか、
"誰も知らない"と歌っていたことさえ
リアルタイムで知らなかった、知ろうとしなかった。


一時期に比べてクオリティの低い、
もしくは著しくマンネリだったりするものしか産めないアーティストを
義理だけで支持する義務はないだろう。
しかし、今回のことで俺の中の「空白」だった作品群を
買い求めていくにつれ
素晴らしい作品がたくさんあるのに気付く。
もちろん一音楽ファンとしては
いつどのように音楽を愛でるのも勝手だけれど
清志郎は無視していて良い存在ではけして無かった。
その後悔は大きい。


三沢の件も確かにショックだった。
でも、新日びいきだった俺が
最後に三沢を見たのは02年の交流戦(vs蝶野)だし
NOAHの単独興行には結果的に一度も行っていない。
そんな者が語る資格もないし
自分の憐憫の情を晒すのも醜い。


「好き」という気持ちはどう測ればよいのだろう。
追悼の表現はどう表せば良いのだろう。
それは他人とは比較出来ないのだろう。
それでも、人さまざま、と分かりながらも
「オマエ、そんなに好きじゃないだろう!」とイライラするようなこともある。
歌って偲ぶ、というのがしっくりこない
(本人以上に歌えるはず無い、から)
から、「追悼ライブ」の類もあまり気乗りしない。


青山に行くのも当初迷った。
でもあのときにフラフラになりながら
並び続けた気持ちに嘘は無いし
献花のタイミングで"トランジスタラジオ"が流れたときには
とてもクールではいられなかった。
あれは俺なりの感謝だったのか
懺悔だったのか
自分を納得させる行為だったのか。
たぶん、全部だったのだろう。




青山の件が発表されてから
行くべきかどうかぐじぐじと迷い続けていた。
5月8日、あの鮮やかな虹を見たことで
何故だか決心がついた。
何かを過剰に意味づけるのは好みじゃないが
あの日はもう、そうとしか思えなかった。





「あの頃がまんま蘇るナンバー」
懐古が単なる懐古で無く、
今、そして未来へとダイレクトに繋がってる。
正直、こんなに全てをお見通し、な
人生のセンパイがいなくなって
いまだにどうしていいか良くわからないのだけれど
もう青山で遺影にも約束を交わしてしまったし、
全ての歌を担いで、
前へ。
ただただ、前へ。


Oh! RADIO

Oh! RADIO

ボタマプ

uizcatchthebeat2009-06-12



ソース日本版復刊めでたい、
という話を
書こうと思ってる間に
早速
いろいろ起こってらあ。


三本半に般若はキレる
(まあ、「やめへんでー」と
今後の活力に昇華しちゃうのが強みでもある)
だから表紙が黒いのかあ、と思ってたら
こっちもあったんだな。





うーん、
DISるには理由がムリくりぽい、
まあままかな。
結局はSEEDAのアンサーが
格の違いを見せ付けすぎる結果に。



トラック選び、
リリック、フロウそのものとしての魅力、
DISのポイントのエグみ、
内容の伝わりやすさ、
曲の中に収める情報、
内容の説得力、
最期のカットアップのタイミングまで、
どれもが素晴らしすぎる。
これを引き出した意味と
ソース誌に注目を一枚乗せた意味で
ギネスには感謝しないといけないなw


てか、amebreakは無くちゃ困る、一方、
ニュースを事実として載せることは
こうして個人でも可能なわけで
その編集方針にどの線引きがあるかわからないが
その強みは速報性より取材にあるはず。
直で話聞ける立ち居地の人間が「ようだ」とかでどーすんの。
伊藤と松野てそういう間柄は無いのか。

SEEDA

SEEDA

こういう心身の瞬発力を持っている人が
後世に残っていく「作品」をモノにしていくのは
モードが違うとはいえ
苦労が多いのだろうな。
でもラッパーの引退宣言ほど
あてにならないものはないから
期待を捨てずに待っておこう。




ああ、ソースの話だった。
フリーペーパーとして出た頃も
快哉を叫んだものだが
雑誌が次々に廃刊となるなか
こうして商業誌としても始められたことは
是非支持していきたい。
エクスクルーシヴCD付きで690円は安い!


blastもなくLUIREもなく、
Woofinはすっかりハイファッション寄り
(てか元々Woofinにはビーフがあるので一生買わないぜ!www)、
bmrには和モノ申し訳程度。
今一番日本のシーンに向き合ってるのは
結局411なんぢゃねの、と思う。
ああしたHip Hopファッションの派手な側面や
オマケやケツwに惹かれる10代が
NYやLAの音楽トレンド、アーティストインタビュー、
レーベル経営等のビジネスの話・・・を
それとなく読んでいるとしたら
それは無視できない大事なこと、と思う。


商業誌が消えたら
ブログ論壇が形成される?とは限らない、
結果としてそうなっていない状況。
いや、もう論壇とかいらないッスわ、て話もあるが
それ以前に批評のベースとなる要素が見当たらない、
つー危機的事態の中で
ソースの意味は大変大きい、言えましょう。


今後はUS本誌翻訳部分のセレクト基準とともに
やはり日本独自記事に注目したい。
和アルバムへのマイクについては
だんだん揉まれていくと思う。
あの「レイティング基本方針と方法」なるもの、
若干複雑ではあるが
それなりに誠実な落としどころだと思う。
あれってちゃんと説明がないと
一見レビュー記事書いた人間一人の判断とか
編集部の独断かに思われがちだしさ。
権威化でも物議を醸すものでも
単なるファンの駄話の酒のつまみ程度でも
今は揉まれることが必要では。
もちろん生活と信念が託された作品を
ペン先で弄られるアーティストには同情申し上げるが
やはり商業作品を世に問う以上
批評は免れ得ない。


今回のD.O.やスケボーの記事は良かった。
(ありゃ、どっちもいっそんw)
本誌にある政治や社会とHip Hopの接点、
業界の(表・裏)事情やシーンを俯瞰した内容を
日本でどれだけ展開できるか。
大泉町の記事は興味深かったが
Hip Hopとのミッシングリンク
もう少し突っ込んでいたらより良かった。

次号は8月5日予定。