EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2006「NEW STANDARD」〜Rock Opera2〜@神奈川県民ホール

uizcatchthebeat2006-11-15

矢沢の話、であります。
永ちゃーん、です。
こないだの優作に続いて
普段のCTBテイストでは
無いけども
オサーンの無駄に長い人生、
そりゃあいろんな
嗜好があるですよ
てか元々「外伝」だっつってんだろほっとけこのw


今でこそそんなに熱心なファンを自称出来ない感じ
(この4,5年新譜も買わなきゃライブにも行ってなかった)だが
80年代〜90年代いっぱいくらいまでは
毎年ライブに行っていたし
後述さしてもらうように
ワタクシにとっては
けして生活に欠かすことの出来ない重要なシンガァだったのです。
たぶん5年ぶりくらいで、
横浜でのホール公演が久々てのもあって
行って参りましたよ。
MCが昔より多くなってて
さすがに体力の衰えがあるのか(57歳!!)
とか思ったが
それでも2時間に渡って
あの野太い声で緩急つけて歌いまくるのは感動的であったのです。
懐メロに陥らず、常に全てのキャリアに渡って
その時期に提示したいアルバム曲なぞを再構築しながら提示する
(80年代以降、固定したバックバンドを持たずその都度
ツアーに合わせたミュージシャンを選択する)とゆー
音楽至上主義も変わらず。
客に乗せられて予定外の「ルイジアンナ」を歌うという
嬉しいハプニングも体験出来たw


昔も今も
嗜好の差、とゆーものは当然あるのであって
俺の世代でも別に矢沢が好きな男子ばかりで
あろうわけがないんですけれども。
しかしながら、
昭和とゆー時代は選択肢自体が限られてたのか
俺の住んでた世界が狭かったのかw
中学くらいでタチが悪くなるガキ→矢沢
楽器持ってバンドの真似事→矢沢(てかキャロル)
鑑別や少年院での読書→矢沢(てか「成りあがり」)
ワーキングクラスの人生訓→矢沢
なのであって、
男らしさの象徴=矢沢、
とゆー不文律が確かにあったのナ。
コンサート会場の周辺は族車だらけ、
会場内は皮ジャンか特攻服、
たまにスーツかと思えば
どーみてもその道のプロな人々、とゆー、
ガキにとっては震え上がりながら
決死の覚悟で行くwwwのが
90年くらいまでの
矢沢のコンサートであったのです。
怖かったんだからあ。マジでマジで。
だからこそwktkしたのですけれども。
こないだの優作話ぢゃないけど
俺にとっては
「好きじゃない人間が存在することが信じられない」、
「好きじゃない人間を想像してもリアルな像を結ばない」感じ。


世間の嗜好が圧倒的に多様化し、
暴走族は珍走団となり
特効服はヲタ御用達wとなり
不良文化なるものがDQNとして嘲笑の対象となるプロセスで
その象徴的存在だった矢沢もパロディになっていったと言えるのかモナ。
ナンシー関が『信仰の現場』で
矢沢のコンサートの(特に客の)異様さを活写したのが91年。
ナンシーは矢沢のパフォーマンスそのものには感心していて
思わずタオルを買いそうになった自身を揶揄してるんだけど。
白スーツにハットとゆーステージ衣装を模した
「矢沢コスプレ」の客が会場に溢れたぐらいから
世間とは別の意味で乖離を拡げたように希ガス
同時に、
矢沢自身「不良のカリスマ」だけでいることの
居心地の悪さを公言し
実際に珍走チックな私設応援団を会場から締め出したり
酔客は入場禁止にしたりして
なんとか音楽家としての評価を勝ち取ろうと努力してきたのが
この20年あまりなんだと思うです。


しかしながら、
今ぢゃ嘲笑の的どころか、
旧時代の遺物扱いされてる時期さえも過ぎて、
若い世代にとっちゃあモノマネでしか知らない、
たまにCMで見る変わったオサーン、なのであって
もはやアンチの対象でも無い、とゆーレベルではないデショカ。
矢沢永吉の曲を上げろ」と言われたら
10代20代の殆どは一曲も知らないのでは?
矢沢あいが敬愛するあまり
矢沢永吉からペンネームを拝借したくらいは
ご存知かもしれないがw


つまり、
30年以上に渡って
一定の売り上げとライブの安定した集客を誇りながら
(それ自体驚異的・・・唯一無比なんだけども)
矢沢の音楽そのものが世間に知れ渡りきちんと理解されてきたか、
となると残念ながらそうではないですなあ。
まぁでも今や老若男女誰もが愛する国民的ヒット、なんつーのは
存在しないのが我が国ですから
それはしょーがないのか。
特に矢沢は
そのモノマネやコピペなどですっかりオナジミなように、
本人自身のキャラや語り口、存在感が過剰なものだから、
それが魅力であると同時に
音楽は二の次になってる面もあるしな。


移り変わりの激しいシーンで
改めて歴史を持つアーティストが再評価されつつある中。
Rockin'Onのステージで再認識されたり
70年代の作品が再リリースされたりで、
そろそろ矢沢の音楽そのものに注目が集まって欲しいと願うです。
とはいえ、
ソロデビュウが75年、
オリジナルアルバムだけで今まで30枚近く、
曲も300曲以上あって
矢沢とはコレだ、とゆーのは大変説明しづらい。
音楽性も幅広過ぎる。
矢沢自身、
あんまりたくさんの音楽を聴かないと公言しており、
影響の系譜や音楽性のカテゴライズがしにくいヒトで、
意外にも巷の「ロックンローラー」イメィジの曲は
逆にそんなに多くは無かったりします。
以前、オリジナルラブ田島氏が
矢沢こそがソウル・ミュージックだ、と称したことがあるけれど
そうさなあ、
俺としてはやはりバラードやミッドで見せる
不可思議なコード展開
AOR的だったりジャズぽかったりブルースぽかったり演歌ぽかったり・・・)や
声そのものが泣いてる曲群にぜし触れていただきたいかな。
画像は1979年のアルバム"Kiss Me Please"。
矢沢史wの中では
「最初の大成功(大ヒットと球場公演の成功)の後の、
空虚感や葛藤の中で作られた」とされ、
ストリングスが多用されてたり
歌詞がことさらドープだったりと
特殊なアルバムだったりする(坂本教授参加)が
俺は一番好きかも。
ダンディズムの極み。
まぁこれに限らず
ベストもたくさん出てることですし、
どれでも一枚入手していただいて、
このヒトがなぜ30年以上現役なのか、を
一度は確かめてみることを勧めるよ。