外野の責任

uizcatchthebeat2009-07-20



つぶやき垂れ流して発散してると
本更新への
モチヴェーションが
低下しがちではありますが。
6月とかにも
遡って埋めようとは
思ってるです。




関西抗争。














関西事情は全然わからないってのもあるし
両者を元々よく知らない
(MackoはMix Showで知った。
あれ貴重な番組なんで、この件で終わるとか無しでお願いしたい)
ってのもイマイチ興味がわかない理由かな。
そもそも何がテーマなのか。
聞き取れたことからすると、
オーガナイザーとして集客力が優れてるが
先輩に媚び後輩に態度がデカい、
HOST MCとしては知られてるが
フリースタイル含めMCの実力はない、
としてdisりたい、と。
それを敢えて曲として公表するには
もっと個的な事情があるんだろうかな、とかね。


海外を顧みると事情を知らずとも
ビーフの中で生まれる曲は
それ単体の出来、魅力で楽しめることが少なくない。
それがこの4曲には感じられない。


SEEDAとGUINESSはタイミング逃して
第二戦のことを書かなかったけど
あのSEEDAは素晴らしかった。








クラッシックに頼った前者に対し
最新のビートでフロウの巧緻性を見せつけ
改めてこの非凡な才能の引退を惜しむ声が高かったのは周知として。


この一戦でより重要に思われたのは
「Hip Hopにおける強度とは何か」を巡る問題。
Seedaはご存知の通り
旧世代のセルフボーストとは一線を画し
現実のイリィガルな生活を背景にした内容で支持され
新世代のリアリストとしてMSCらと共に語られたところがあった。
そうした「Thugくて」「エモい」ラップの蔓延と陳腐化が進んだところで
本人は距離を取って現在に至る、ですな。


Hip Hopが「お前らよりオレがいかに上か」を
大仰に吠え立てる一面があることは確かで
それはスキルや金やリスナーのプロップスだったりするわけだけど
それを「ワル」という尺度で語るときの矛盾がある。


"Menace II Society"(1993)の時代に既に
Chuck Dは人を殺したことないんだろ?ダッセー!」ていうガキが
登場することからも
「ワル比べ」が現実の犯罪歴の重さと混同されていく様は
昔からあった。
でもそれならもうHip Hopである必要性は無いわけで
大量殺人鬼やドラッグ王がラップすれば
それが一番カッコイイことになる。
そもそもUSのラッパーの比喩は馬鹿馬鹿しいくらい大袈裟で
何かつーと「銃で頭ぶち抜くぞ」とか言うが
実際にそれをやったら捕まりますよ、という虚実皮膜の面白さ。
自浄作用も働きやすくて
「オレはストリート育ち、リアルだからよお」って粋がり過ぎると
過去の経歴を引っ張り出され
「オマエ、こんなに良い子ちゃんだったぢゃん!」と嘲笑される、つーな。


さて、先の一戦の件。
「オマエんち特定してるぞ、オマエの女を犯っちゃうぞ」とか
「シメてやっからイベントに直接来い」とかの言い草に対し
「必死&宣伝乙」と取り合わず
「オレを殺してもお前はオレの音楽には勝てないさ」
(歴史に残るパンチライン!)
と言い放ったSEEDA
自らの音楽的、人間的成長を示すと共に
「リアルHip Hopにおける強度は犯罪歴や暴力ではなく
音楽そのもので測定(ジャッジ)される」という
テーゼを強烈に叩き付けた、
とこに価値があったと思うが如何。




結局日本公開も無ければ
DVDの日本版発売の声もまだ聞こえてこない
"Notorious"ですが。
既に観た身としても、やっぱ字幕版で細かなニュアンスまで知りたいし
評価はそれからかな、と思ってはいるのですが。
パフィと共に「俺たちが世界を変えるんだ」という台詞が
前半では希望に満ち、後半では悲劇的な色合いに変わっていくところ、
Pacとあんなに仲が良かったのに・・・てところ、
あたりはグッと来るが
脳内のリアルBiggieの姿と比べてしまうところ、
非凡な才能の表現の仕方なんかは物足りなく感じてしまう。
ラスト、
(未見の方は以下飛ばし読みを)


Biggieママが
「結局、私の子育てや息子の人生とは何だったのだろう・・」と
空虚感に襲われるところで
実際のブルックリンでのBiggieの葬儀の映像
(周辺を熱狂的なファンが埋め尽くして迎える)
がインサートされ
如何に息子が世の中から愛されていたかを知る、
という描写は
優れたものだと思ったです。




いや、今回ビーフとか書いてるうちに
この映画を思い出したのには理由があって。
途中、東西抗争が激化する様が描かれるんだが
世間は勝手なことを言いまくるわけよ。
お互いに、東は、西は死ね!的なことをさ。
オレも当時はどっちかってば2Pac派だったから
なんとなく西を応援、みたいな言動をしてたと思う。
映画の中ではPac殺し、Biggie殺しの犯人探し描写は無くて
(匂わせはするが)
当事者を越えたところでの
そうした無責任なリスナーの反応が
結果的に有能な二人の若者の命を奪うことに
加担してなかったとは言えないよ?という、描かれ方になってるわけです。


つまり、
ビーフやDisに触れる態度として
我々も襟を正さねばならない、と思ったり。
ジャッジするには
こちらも感度と能力を高めるのを怠るべからず、
と思う次第でありました。